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第一ペテロ1:15むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。


あらゆる行いにおいて、聖なる者となりなさいと書かれています。私達は、神様の恵みによって救われ、法的には、イエス様において聖なる者とされています。しかし神様は、毎日の行いにおいて、自分自身を聖なる者としてこの世に示しなさいといっています。聖なる者になっていく過程を、実際に経験してイエス様のように変えられていきなさいということだと思います。

それには、自分の意志によって、毎日、恐れの念をもって神様を賛美していかなければなりません。


コリント第二の手紙7:1愛する者たちよ。わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか。


イザヤ書9:6ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。


イエス様は、父なる神様から私達へのギフトです。神様は、私達に何を与えてくださったかだけでなく、誰にそれを与えてくださったかを、ここではっきりと示してしてくださっています。そのギフトであるイエス様は、この世のすべての人の為に与えられているのですが、そのイエス様を信じる者に、永遠の命が与えられているのです。

イエス様の贖いを、あなたは真に心の中に受け入れていますか?


ヨハネ書3:16神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

そのために、わたしはこのように苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。というのは、わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。


パウロが刑務所に入れられ、もうすぐ死期が迫っていることを知っている時に語った言葉です。パウロはイエスキリストがどういう方かをよく知っており、またその神の力も知っていました。福音には力があり、それをパウロは経験していました。だからこそ、人々から中傷され苦しみを受けても、それを恥じなかったのです。それどころか、福音のために共に苦しんでくださいと言っています。


だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。

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